某予備校のCMの英語担当塾講師の言葉です。
「英語なんて言葉なんだ やれば誰だってできるようになる!」
一度は耳にしたことがあるんじゃないでしょうか。
私の高校時代の英語教師の言葉です。
「たとえば英語圏の学校にもまともに通えないような人だって英語で話している。みんなができない訳はない」
聞いた当時は正直にナルホド、と思ったものでした。
外国語の習得には始める時期に左右される気がします。
しかし母国語でない言葉を習得するに、それらの土台はやり始めた時期と、地頭に大きく左右されるのではないか、と20代後半の私は思います。
今時小学校から英語教育をするというのは一般化してきました。
が、私たちの時代は中学からというのが当たり前でした。
中学からの学習だと、初めから完全な文体で話す、喋るということになります。
ですが、もっと早い時期、それこそ赤ちゃんが少しずつ言葉を習得するように、単語レベルでも幼いころから覚えていけば、中学に入った時に、楽に英語を理解できたかもしれません。
そうすると、たちはだかる英語という新しい教科はもっと身近で、必要以上に恐れたりしなくてもよかったのではないか・・・と後になってから思います。
英語自体の成績は悪くなかったですが
実際のところ、私は「教科としての英語」の成績は決して悪くありませんでした。
中学の頃、英語教師から英語でのスピーチ大会があるから出てみないかと誘いを受けたことがあります。
しかしながら私は断りました。
失敗するのが怖かったのです。
そして「話す、会話としての英語」というものにまるで自信がありませんでした。
その後高校に進学してもそのスタンスは変わることが無く。
教科としての英語の成績はまずまずよかったのです。
それこそ話し言葉としての英語からは徐々に遠ざかって行っている実感がありました。
そして現在まで、学びなおすこともなく少しずつ頭から英単語が抜けていき、今に至ります。
英会話の塾にそれこそ4歳くらいから通っていられたら
私の頃はあまり一般的でなかったかもしれませんが、英会話の塾にそれこそ4歳くらいから通っていられたら、と今でも思います。
度々思う理由は、現在の仕事でまれにですが英語を使うからです。
忘れてしまった単語をネットで辞書検索する手間がとても億劫に感じます。
小学校での英語教育の実態をいまいち把握できていませんが、「話す、会話としての英語」の力を培うものでなければ、いつまで経ってもコミュニケーションツールとしての言語習得は難しいのではないでしょうか。
自分がもし小さい頃に戻れたら会話力を身に着ける英語を学びたいです。